今回は1990年代のグランジ・オルタナティブ・・いや90年代ロックシーンを代表するバンドとなったスマッシング・パンプキンズ。
1988年にアメリカ合衆国イリノイ州シカゴでビリー・コーガン(Vo、G)、ジェイムズ・イハ(G)、ダーシー・レッキ―(B)、ジミー・チェンバレン(Dr)により結成。バンド名の由来は、キッスのジーン・シモンズが夢に現れて話した言葉から取ったというホンマかいな?という逸話もあり。
1991年にファーストアルバム「ギッシュ」をリリース。この頃は、ニルヴァーナやパール・ジャムらがブレイクしグランジが新しい波としてシーンを席巻しようとしていた時期でした。このアルバムは100万枚以上を売り上げました。
1993年に2作目のアルバム「サイアミーズ・ドリーム」をリリース。
代表曲「トゥデイ」を収録した同作は、よりスケール・アップしたサウンドでアメリカだけで300万枚、世界中で500万枚以上売り上げたとされています。
グラミー賞にもノミネートされてビッグ・バンドの仲間入りをしました。
1995年3枚目の2枚組大作アルバム「メロンコリー そして終りのない悲しみ」をリリースします。「Tonight,Toniht」「Zero」「1979」等彼らの代表曲がならぶ名作で、アメリカチャート初登場1位、世界13カ国で1位など世界中で大ヒットを記録し、アメリカだけでも1千万枚近くのセールスを記録します。
またグラミー賞では7部門にノミネートされ、「タイム」誌による年間ベストアルバムに選ばれるなど高い評価を得ます。
楽曲のメロディー、アレンジが最高にクリエイティブで充実した作品に仕上がっています。
一方で1996年ツアー中においてヘロインによる薬物中毒によりサポートメンバーのジョナサン・メルビンが死亡したり、ドラマーのジミー・チェンバレンが逮捕されるという事件が発生するなど怪しい雲行きとなってきました。
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1996年4月号クロスビートに、メロンコリー…ツアー後の、絶頂期のインタビューが記載されていたため、一部転記させて頂きます。
ビリーが語った「人生とは、満足感であり、…幸福感であり、…存在感だ。」という言葉には、深く共感しました。
インタビューは、大谷英之氏、写真は、有賀幹夫氏です。
・90年代に入ってからシーンが大きく変わっていきましたけど、極端な話、どこにも関わらず独自の奇跡を描いてきたスマッシング・パンプキンズは、オルタナティブ/グランジ・ブームが無かったしてもここまできたと思います?
ビリー: 「いや、僕たちだってシーンの一部に影響されてるし、他の部分でも逆に反面教師として自分を見つめ直す意味で考えさせられたこともあったよ。
ジェーンズ・アディクションと共演した時にはライブ・バンドとして未熟な自分達を実感してライブに力を入れるようになり、ニルヴァーナがブレイクした時には自分の曲を振り返り「バンドとしては僕たちも負けちゃいけないけど、曲が追いついていないんじゃないか。
もしかしたら僕たちだってあれよりいい曲が書けるんじゃないか」って曲作りに精を出した。
「メロンコリー」に至っては、世の中を見渡すとどいつもこいつもクールとされるものばかりやろうとしてるんで、僕らは「好きなことやってやろう、じゃあ2枚組だ」となったわけさ。
「2枚組だなんてとんでもない。クールじゃない」って声が大半だったのに、実際にやってみればきっちりクールなことになってるだろう?」
・なるほど。
ビリー:「今、僕がここで伝えようとしている教訓は、世の中に対して耳を閉ざすことは不可能だってことなんだ。この世界に生きて現実に参加してる以上、周りを見渡した上で、周囲が自分にとってどんな意味を持っているのかを考え、そして自分はどうしたいのか決めるしかない。
インタビューも終わり、スマッシング・パンプキンズも終わり、もう家に帰ろう…と言ってしまうのは、いつだってできる。
それはみんな承知してる。でもこの世の中に生きることを選んだんだから、ある程度は周囲の状況に注意を払わなきゃいけないんだよ。
それから自分なりに適応の道を探っていく。君が言ってた”独自の軌跡”はここの部分さ。僕たちはそうやって散々探った揚げ句、やっぱりスマッシング・パンプキンズらしくあり続けられることが一番大切だと悟るに至ったということなんだ。
ニルヴァーナ・ジュニアとかってレベルに関係なくね」
・ここまでがスマッシング・パンプキンズ第一期だったとすれば、スマッシング・パンプキンズの何が終わったんでしょう?
ビリー: 「考え方が変わったってこと。若い時は地位、金、他人の考えを基準に物を見がちだけど、年をとると共に人生とは…満足感であり、…幸福感であり、…存在感だ。僕だってこうして黙って窓を見つめてるだけの存在じゃない。
僕たちがバンドとして次の段階へ移行してるって意味は、こういうことさ。若い時には成功もしたかったし、ロックンロールでみんなをアッと言わせたかった。そういった野心の時代は終わったんだ。
今は大人になって、何か違うことをやろうとしてて…それが何かはまだわからないにしろ、考え方を変える時期が来たのは間違いない。一つの目標は達成したから、僕たちはまた次に上るべき丘を求めていくだけだ」
1998年4枚目のアルバム「アドア」は前述の事件に絡んでドラマ―の解雇により正式なドラマーの不在のもとで制作。
打ち込みを駆使したサウンドは、それまでと劇的に柔かい曲調へと変貌を遂げたものであったため、賛否両論が巻き起こりました。
アメリカ国内ではセールスが伸びませんでしたが、全世界でのセールスは300万枚と・・まずまずのセールスを記録します。
1999年ジミーをバンドに復帰させ2000年には「マシーナ」をリリース。
ところが、ダーシーが脱退し後任のベーシストとして元ホールのメリッサ・オフ・ダ・マーが加入。
2000年5月にビリーはラジオにてパンプキンズの解散を発表。解散ツアーとして日本を含む世界各地を回るツアーが行われ12月に解散しました。日本公演は、私も見に行きましたがなかなかいいライブだった印象があります。
解散後、「マシーナ」の続編として
「Machina II/The Friends & Enemies Of Modern Music」がインターネットを通じて無償で配信されました。
2001年にビリーとジミーの二人を中心に新バンド「ズワン」を結成します。しかし2003年にアルバム「Mary Star Of The Sea」を発表しますが、
あっけなく解散しました。
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2007年5月にビリーとジミーを中心に新メンバーを加えた再結成スマッシング・パンプキンズはパリにて約7年ぶりのライブを実施します。
そして7月にアルバム「ツァイトガイスト」をリリース。
2009年9月「Teargarden By Kaleidyscope」と題したレコーディングが開始されたことを発表します。このアルバムは44曲が収録予定で、完成した曲はオフィシャル・サイトを通じて配信されることになりました。
公式サイト
http://www.smashingpumpkins.com/
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・ギッシュ/ Gish (1991年)
・サイアミーズ・ドリーム / Siamese Dream (1993年)
・メロンコリーそして終りのない悲しみ (1995年)
・アドア / Adore (1998年)
・マシーナ/Machina:the machines of God (2000年)
・マシーナII/ Machina II:the friends & enemies of modern music (2000年)
・ツァイトガイスト/ Zeitgeist (2007年)
・ティアガーデン・バイ・カレイディスコープ / Teargarden by Kaleidyscope (2009年-)
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