今回はロックシーンに多大なインパクトを与えたパブリック・イメージ・リミテッド(通称ピル:PIL)。
セックス・ピストルズを脱退したジョニー・ロットンは、本名のジョン・ライドンと名乗るように。
1978年ジョン・ライドンは、ジャマイカで休暇を過ごした後、初期のクラッシュのギタリストであったキース・レヴィンや、ジャー・ウォブルに声を掛けて新バンドを結成。
そもそも、ライドンからすると、ロットン(腐った)という芸名!?自体気に入らなかった様で、自分の抜けたピストルズが腐って行くのを横目で見て、お前らがロットンなんだよと思っていたとの事w。
さて、ピストルズ自体はイギリスにおいて策士マルコム・マクラーレンの販促戦略もあり成功はしたものの、彼自身は散々な思いをしたので自分でコントロールできるバンドを作りたかったのだろうと思います。
彼は、雑誌のインタビューで本質を突く事を語っていました。(ロッキング・オン ROCK GIANTS 80’より)
●マルコムとしちゃあ、机にふんぞり帰って電話かなにかで尊大に振る舞っていればそれでよかったんだから、こんなボロいことってなかったろうよ。『どもども、私たちはトラブルメーカー、売りはバイオレンスでっす』とか売りこんでりゃあいいわけだ。
でも、そのバイオレンスを現実に生きて、ぼろ雑巾のようにされていたのはこの俺なんだからな。」
■アルバム
・パブリック・イメージ - Public Image: First Issue (1978年)
・メタル・ボックス - Metal Box (1979年)
・P.I.L.パリ・ライヴ - Paris au Printemps (1980年)
・フラワーズ・オブ・ロマンス - The Flowers of Romance (1981年)
・ライヴ・イン・TOKYO - Live In Tokyo (1983年)
・ジス・イズ・ホワット・ユー・ウォント - This Is What You Want... This Is What You Get (1984年)
・ALBUM (1986年)
・HAPPY? (1987年)
・9/ナイン (1989年)
・グレイテスト・ヒッツ・ソー・ファー - The Greatest Hits, So Far (1990年)
・ザット・ホワット・イズ・ノット - That What Is Not (1992年)
・Plastic Box (1999年)
・Live at the Isle of Wight Festival 2011 (2011年)
・ディス・イズ・PiL - This Is PiL (2012年)
・ロックパラスト1983 - Live at Rockpalast 1983 (2012年)
・ホワット・ザ・ワールド・ニーズ・ナウ - What The World Needs Now (2015年)
・The Public Image is Rotten - Songs from the Heart (2018年)
1978年12月ファーストアルバム「PUBLIC IMAGE」をリリース。
そのサウンドは非常に斬新であり、セックス・ピストルズ※のようなハードなR&Rを期待するファンは裏切ることになりましたが、まさにその後のニュー・ウエーブを象徴するような画期的なものでした。
※https://ukrock1977.work/category/11483614-1.html
結果的に、セックス・ピストルズでその当時のイギリスのロックシーンを一度破壊し、PILのこのファーストがその後のニュー・ウエーブ〜ポスト・パンクシーンを作る種を撒いたと思います。
そもそもピストルズがNYドールズ後期のマネージャーだった、マルコム・マクラーレンがアメリカのNYパンクに衝撃を受けてイギリスに戻り自国でもパンクを流行らせようと画策したバンド。
マルコムの奥さんであったヴィヴィアン・ウェストウッドの破壊的なファッション。(その当時の話)
|
バイオレンスな歌詞。しかし曲自体はポップでキャッチ―であり、徹底したスキャンダラスなイメージ戦略や実際のメンバーの破壊的な言動で噂が噂を呼んだ・・・
ある意味非常に商業的な意味合いが強かったバンドであった。
ライドン自身はアメリカでもピストルズの成功を望んでいた。
しかし、実際はツアーでもメンバーは麻薬中毒やら何やらでロクすっぽまともに演奏できない事や、実際に暴行の被害に合うなどライドンからすれば、やめたくて仕方がない状態だったのでは。
|
ただし・・・彼はマルコムの創造を遙かに超える才能とカリスマ的な存在感を持っていた。
でなければ、、あんな歌詞は書けないし、カリスマ的な人気も出なかった。さて話をPILに戻すと、特に初期のPILは強烈なインパクトを持っていた。
初期の頃のPILの写真集。
1979年にはセカンドアルバム「Metal Box」を発表。
当時、缶入りのレコードは非常に斬新なアイディアであり話題となりました。
またその中身も、非常にインパクトのある作品となっていました。
ジャー・ウォブルのうねるベースに、斬新なキースのギター、そこに絡むジョン・ライドンの不思議なボーカル・・
「P.I.L.パリ・ライヴ」PILの初期のライブアルバムで、ライドン、キース、ウォブル、アトキンスというラインナップでは唯一のものとなります。
1981年「Flowers Of Romance」をリリース。
ドラムが暴れまくり、その上に呪術的なライドンのボーカルが漂い病的なギターが被さったようなサウンドは、非常に実験的で面白い作品。
初来日公演の作品。ライドンのバックの看板が「カメラのさくらや」。
ライドンとレヴィンは「Commercial Zone」を完成させますが、意見の対立でリリース直前にレヴィンが脱退、アルバムはお蔵入り・・
(キース・レヴィンの自主制作盤として発表)
1984年に「This is what you want, This is what you get」を発表。ヒップ・ホップが導入。
|
結果的にPILはロック・バンドというよりも、ライドン中心の流動的なプロジェクトとなっていきます。
1986年あのスティーブ・ヴァイ、ジンジャー・ベイカーや坂本龍一を迎えて「Album」を発表。レコードには「Album」ですが、CDでは「COMPACT DISC」となかなか洒落たタイトル。
1987年「Happy?」を発表。元マガジンのジョン・マッギー、元ポップ・グループのブルース・スミスを迎えた作品。
1992年ハード・ロックよりのサウンドアプローチの「That What Is Not」を発表。
このアルバムを最後に活動を休止していましたが2009年12月にイギリスツアーで活動を再開。
2011年ライブアルバムをリリース、そして2012年・・・なんと1992年以来20年振りに新作をリリース!
「ロックは死んだ」という名言を吐いた、ライドン自身は・・怒れるオヤジとしてまだまだ死なない。シブトイッ!
■関連書籍等
ジョン・ライドンの自伝。パンク、ニュー・ウエーブ/ポスト・パンク期の裏側が垣間見れる快作。
「楽しんでくれよ、さもなきゃくたばっちまえ。」ライドンの序文より。
ライドンのHP
http://www.johnlydon.com/jlhome.html